2007-02-22 第166回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号
そうすると、双方向の着陸灯をつけるとなると、これはもうタッチ・アンド・ゴーすること間違いない、こういう立場から、名護市としては、これは海にずらさぬといけない、どうしてもやはり、地域住民の安全確保のためにはある程度の修正をしなければならないという立場で今頑張っているところだと思いますので、ぜひ地元としっかり話し合いをしていただきたい、こういうふうに思います。
そうすると、双方向の着陸灯をつけるとなると、これはもうタッチ・アンド・ゴーすること間違いない、こういう立場から、名護市としては、これは海にずらさぬといけない、どうしてもやはり、地域住民の安全確保のためにはある程度の修正をしなければならないという立場で今頑張っているところだと思いますので、ぜひ地元としっかり話し合いをしていただきたい、こういうふうに思います。
自分の言い分は間違っているけれども、ディレイレポートを書かなければならぬ、それはいやだから、キャリーオーバー基準できまっているのだから、少々の欠陥はいい、着陸灯がつかなくてもいいとか、エンジンの発電機一つとまってもいいとかいうようなことで飛ばしてしまうということに現状としてなっているのです。
そのときの高度は三百フィートぐらいで、着陸灯を点灯しておりました。当時、視界といいますか視程が非常に悪かった。着陸態勢に入りましたときに、突然に黄色い車が滑走路中心線上に駐車しているのに機長が気がついた。復行するにはおそ過ぎまして、衝突を避けるべく機体を引き起こそうとしたようですが、間に合わないで右車輪が駐車した車と接触した。こういうことで、同機は四時二十二分無事に着陸をいたしました。
それが最後で、十九時一分に管制塔から着陸灯を示せという要求をしたけれども、それに応答がなかった。要するにこの三十秒間のできごとなんです。この三十秒間に東京湾上に墜落しているわけでございますが、この事故後の掃海、この点について、要するに東から西に向かって網を引いたのか、北から南あるいは南から北に向かって掃海したのか、この指図はだれがしたのか、この点を簡単でけっこうですから……。
十九時三十秒管制塔かの呼びかけに応答しましたが、その三十秒後の九時一分、管制塔は着陸灯点灯の指示を行ないましたが、応答はなく、自後再三にわたる管制塔の呼びかけに対し、同機からは何らの応答もございませんでした。
十九時三十秒、管制塔からの呼びかけに応答しましたが、その三十秒後の十九時一分、管制塔は「着陸灯点灯」の指示を行ないましたが、応答はなく、自後、再三にわたる管制塔の呼びかけに対し、同機からは何らの応答もございませんでした。
十九時ゼロ分三十秒、管制塔からの呼びかけに応答しましたが、その三十秒後の十九時一分、管制塔から着陸灯点灯の指示をしましたところ応答がなく、自後、管再塔は繰り返し呼び出しを行ないましたが、同機からは何らの応答もありませんでした。
十九時三十秒管制塔からの呼びかけに応答いたしましたが、その三十秒後の十九時一分、管制塔から着陸灯点灯の指示をしたところ応答がなく、自後管制塔は繰り返し呼び出しを行ないましたが、同機からは何らの応答もありませんでした。
いろいろの緊急対策とあわせて、恒久施策としましては、着陸灯の設置とか、あるいは視界をはかる機械の設置とかいうふうなものを、いろいろと項目を出しまして、対策を講じつつありますので、同じような種類の事故は二度と起こすことのないように気をつけて参りたいと思っております。
当時の天候は快晴であり視野も良好であったので、ジェット機もたとえ離陸の都合があったにしても、前方の障害物を確認すべきであるが、一応DC3の着陸灯を滑走路北方大山川の蓋工事の夜間点灯の光のように感じ、変に思いつつ前進をしたので、DC3の機体を認めたときはすでにおそく、機を左にねじるとともに、操縦桿を少し引いたので浮き上がり、右脚にてDC3右翼を切り取り、ジェットの右主翼にて胴体後部半分をもぎとった上発火